初回
前回
歩道を通っていよいよフェリーに乗り込みます。雨が降っていたので早足で移動しましたが、早く着きすぎて少しだけ外で待つ羽目になりました。
フェリー内部です。階段が狭くて急なので、足の悪い方にはおすすめできないです。
客室内。横になれる部屋とリクライニングシートの部屋があり、私は画像の寝台の部屋に入ったのですが、遅くまでトラックドライバーの方たちが宴会を開いていたほぼ眠れませんでした。寝る人はリクライニングシートの部屋の方が良いかもしれません。
…………次の日。
3時20分に青森港到着予定のはずでしたが、なぜか3時前に起こされました。すっごい寝不足です。
目がギンギン痛いし、頭も痛いし、雨も降っている中フェリーを降りました。有名な歌に歌われているような「連絡船」の叙情的な雰囲気はなかったです。旅行で夜行便を利用するのは辞めておいた方が良さそうです。
3月10日【3日目】
移動距離…約439km
歩数…16561歩
2020年3月11日【4日目】(青森港→秋田)
睡眠時間が正味1時間くらいで流石にしんどいので、青森港の待合室で仮眠を取ることにしました。
結果としては、ほとんど寝ることはできませんでした。ここでも正味1時間ほどの質の悪い睡眠をとって逆に身体を痛める結果になりました。
まだ真っ暗な午前5時過ぎ。JRの青森駅に向けて歩き始めました。当然ですが誰もいなかったです。
あの有名な青森ベイブリッジ。青森と言えばこれですよね。渡ってみようかなとも思ったのですが既に疲労が限界だったのでやめました。朝5時でこの疲れはきついです。大人しく新幹線で来ればよかったと後悔。
20分くらい歩いて青森駅に到着。しかし、ここ西口は周囲にお店などがなく食料を補給することが出来ないので、比較的栄えている東口まで回ることになりました。乗車券では駅を通り抜けることができない(入場券を買わないといけない)ようで、残念です。
結局、合計で30分ほど歩いて青森駅に到着。もうすでにクタクタに疲れてしまいました。睡眠は1番大切ですね。旅をするにしても、睡眠だけは犠牲にしないようにしようと思いました。
青森駅も古い駅舎が現役です。規模も大きく鉄筋コンクリート製ですが、昭和の香りが色濃く残っています。跨線橋には昔の駅の写真が飾られていました。
本州に戻ってきましたが、ここからは津軽半島を北上していきます。本州の最果てを見に行ってみたいのです。
列車はガラガラでほとんど乗客がいませんでした。大きい窓から景色がよく見えます。
少しだけ海も見えました。
蟹田という駅で乗り換え。ここまでは左側のやや新しめの電車だったのが、最果てを目指す区間は右側の古いディーゼルカーになります。
このディーゼルカーはここまでの電車より更に乗客が少なく、数えたところ2人しかいないようでした。2両編成だったので、1両に1人貸切状態です。 ローカル線の風情があっていいですが、経営が心配になるレベルです…。
北海道新幹線の線路。今考えると、1日目に1時間ちょっとで青森と函館を結んでくれた新幹線ってすごいです。運賃は高いですが、それ以上に楽で快適で速かったです。
新幹線との接続駅である津軽二股駅(新幹線の駅は奥津軽いまべつ駅)を過ぎると、積雪のある山の中に入りました。ここからいよいよ最果て感が強まってきます。
終点直前で雄大な海が一瞬だけ見えました。この決して良くはない天気が逆に最果ての気分を盛り上げてくれます。
終点の三厩駅に到着。津軽半島最北端の駅、まさに本州の最果ての1つと言えるでしょう。
驚くほど質素なホーム。線路も1本しかなく、降りた乗客も蟹田から乗った私含めて2人と、津軽二股から乗って来た乗客と合わせて数人だけでした。
駅舎は小さいな無人駅ですが、リフォームされていて綺麗になっています。
駅前には何もないです。有名な歌に歌われている「竜飛岬」へはここからバスで行けるそうなので時間が合えば行ってみようと思ったのですが、バスは来ませんでした。
列車の本数はまさかの1日5本。しかも青森行は1日1本しかなく最果て感がすごいです。
ちなみに三厩という不思議な地名ですが、1日目に触れた源義経と関係がある地名だそうです。実は東北へ逃れていた義経が、この最北の地で津軽海峡に阻まれて困ってしまい、観音様に祈りを捧げました。すると3頭の竜馬が与えられ、義経一行は北海道へ逃れた。という伝説に基づいている地名なんだとか。果たして義経伝説の真実はどこにあるのでしょうか。
つづく
(2020年3月27日:源義経に関する内容を追加し、僅かな修正も加えました。)