高宮の日本のどこかにいるブログ

個人的なぶらり途中下車の旅。

18きっぷで九州北部の旅(3)

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長崎電気軌道|[1]赤迫長崎駅前(*1319)→赤迫

特に綿密な計画を立てているわけではないので、とりあえず来た電車に乗ってみました。

 

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赤迫電停。

 

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やはり路面電車の終点はいいですね。誤解を恐れずに言うと、この突然終わる粗末な設備に魅力を感じます。

 

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長崎電気軌道|[1]崇福寺赤迫(*1348)→千歳町

そのまま折り返します。

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長崎電気軌道|[3]蛍茶屋|千歳町(*1401)→蛍茶屋

後続の蛍茶屋行に乗り換え。青い車体に猫が描かれたお洒落なデザインの電車です。

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車内も中国風の龍の絵などが飾られていました。

 

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蛍茶屋電停。左側に見える街の高低差がすごいです。さすがは坂の街です。

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長崎電気軌道|[5]石橋|蛍茶屋(*1439)→新大工町

折り返します。こちら側も街の高低差に驚きました。

 

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長崎電気軌道|[4]崇福寺|新大工町(*1446)→崇福寺

続いては崇福寺電停へ向かいます。

 

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崇福寺電停。どうやら路面電車が通っている道路は暗渠の上を走っているようで、線路が道路から分岐した後、突如出現したように見える川の上に電停が設けられています。非常に珍しい構造でわくわくします。

 

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やや遠くから撮影。情報量が多すぎて混乱する街です。

 

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長崎電気軌道|[1]|崇福寺(*1507)→西浜町

折り返します。

 

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長崎電気軌道|[5]石橋|西浜町(*1513)→石橋

石橋電停へ。

 

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この電停も、軌道敷は道路と一体になっていますが、それ自体が暗渠の上を走っている構造です。石橋電停がある地点までは水面が少し見えていますが、これより先は完全に蓋がされています。電停の少し先に道路が不自然に盛り上がっているのが見えますが、これはかつて水路に架けられていた橋(=石橋)が埋まっているからだそうです。

 

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長崎電気軌道|[5]蛍茶屋|石橋(1525)→新地中華街

たとえ今では消えてしまったものであっても、地名や駅名にはその土地の記憶が残されていることがあります。個人的には安易に変更せず、もっと大切にしてほしいなと感じます……。

 

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長崎電軌軌道|[1]赤迫|新地中華街(1532)→出島

続いては出島電停にやってきました。

 

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出島は、今では周囲が埋め立てられ街の一部と化しており、歴史の教科書に載っているような小島のイメージとはかけ離れています。

 

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ここから新地中華街まで、軌道敷に沿って歩いてみることにしました。

 

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通りに沿って、整備復元された護岸石垣が見えるようになっています。かつての出島の姿を今に伝える貴重なものです。

 

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出島通りは狭いです。車道が消滅しており、軌道敷の中を車が走る形になっています。それにもかかわらずT字路や交差点も存在しており、事故が起きないかヒヤヒヤです。

 

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旧内外クラブ記念館という建物。明治36年に建てられ、当時の外国人と日本人の社交の場としても使われていたとのことです。

 

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出島通りはここで分岐していきます。ここから先は一方通行です。

 

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一方の軌道敷がある道路は、歩道が消滅します。路面電車や車に十分注意して歩く必要があります。

 

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日新ビルという古いビルがありました。中に入ってみようと思ったのですが、中で奥様方が談笑されていたので遠慮しておきました。

 

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そのお隣の印刷会館というビルも良い感じです。1960年代の建築でしょうか?

 

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その向かい側にも古そうなビル。窓枠の感じが非常に素敵です。

これらの建築は、厳密には当時の「出島」の外側にありますが、合わせて訪れたいスポットです。

 

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古い建物が並ぶ静かな通りを走る路面電車。最高のロケーションです。

 

 

参照資料

つづく

 

2020年10月10日:一部表現を修正しました。